【後編】エクストリーム帰寮2020(2020.11.28)

2020年11月28日、私は熊野寮祭の企画「エクストリーム帰寮」に参加した。

前編→ https://skrgwblog.hatenablog.com/entry/2020/12/05/071030

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前編の行程。赤ピンがスタート地点、青の点まで到達。

私は行きとは道が違うと分かりつつも、国道162号を進むことに決めた。見えていたトンネルは中川トンネル。京北トンネルのような曲線主体の線形で、先が見えない。おまけに朝が近づいているためか交通量も増えていて、端の狭く圧迫感のある歩道を歩くしかない。幸いにも長さは京北トンネルよりは短く、それほど苦痛には感じなかったが、今私が地図を見た上でルートを決めるとすれば、旧道を選択しただろう。

旧道の途中には中川地区の集落が存在するため、旧道にもある程度の幅員がある。交通量も多くはなく、安全上の問題もない。そもそも、ここまでずっと並行してきたバス路線も、集落の乗客を拾うために旧道を経由するようだ。

中川トンネルを抜けると、空が薄明るくなっていた。時刻は6時を回っていた。朝だ。

Twitterを開くと、普段通りの「朝」を迎えている人々の姿があった。私は彼らが寝てから起きるまで、ずっと歩いていたことになる。そういう企画だとは分かっているものの、少し寂しさというか、自分は何をしているのだろうかと考えてしまいそうだ。

またトンネルが見えた。杉の里トンネルというようだ。今度は入る前から出口が見えている。道路の右側からは旧道が分岐しており、「車両進入禁止」と書かれた柵が進入を拒んでいる。トンネルの開通によって廃道になったのだろう。

トンネルを抜けるとそこには橋があり、川を跨いでいる。

私はこれまで大半の時間を川と並行して歩いてきた。しかし、川の流れを視認したのはこれが初めてであった。私は朝の到来に感動を覚えた。

その後道は狭くなった。さすが国道というだけあって、交通量は私の横を追い越していく車も対向車線にはみ出せないほどになってきた。横を減速して通っていき、抜き去った後は邪魔だと言わんばかりに急加速していく。私は心細さ、申し訳なさを感じずにはいられなかった。

そこを大きな車が横を抜き去っていく。エンジン音に少し聞き覚えを感じた。すると、白い車体に青のライン。JRバスだった。行き先には「四条大宮・京都駅」の文字。私の目指す市街地が、だんだんと近づいているような気がした。

狭い道を、居場所のなさを感じながら歩いていく。そこに、前方に青く光るものを見た。片側交互通行だ。早い段階からそのことは道路上で告知されていたが、もう忘れてしまた頃だった。車なら数十分なのかもしれないが、私はこの案内を2時間ほど前に見た覚えがあった。

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災害の影響で片側交互通行となっていた。

片側交互通行で、工事の作業員らしき人も見当たらない。私は車の途切れるタイミングを見て、駆け足で通り抜けた。

そこから5分ほどのところに、開けた土地があった。観光客向けの駐車場だ。風流のある茶屋が軒を連ねている。私は高山寺の門の前でしばらく休憩を取ることにした。

寺院の関係者だろうか、老人が車でやってきて、門の辺りの箱に何か鍵らしきものを入れて去っていった。

老人は、朝7時に道端に座ってカロリーメイトを食べる私を見て、何を思っただろうか。

 

食欲はなく、カロリーメイトを1本食べたところで、空腹なのにもう食べたくないといった感覚に陥った。無理に食べる必要もないと思った私は、食べるのはそれきりにして水分を補給した。次のバスが市街地の方向へと坂を下って行った。

歩き出した私。足取りが明らかに重くなっているのを感じた。休憩を長くとると筋肉が固まってしまうというのは知っていたが、10分程度でもそうなるとは思いもしなかった。まだゴールまでは距離がある。ペースだけは維持しようとしたが、体力の消耗は避けられなかった。

そこは栂ノ尾高雄という場所だった。私は地名こそ聞き覚えがあったが、何がある場所かは全く知らなかった。見る限り、紅葉の名所なのだろう。もっとも、朝7時に紅葉を見に来る物好きは、私のほかにいなかったが。

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高雄の橋と紅葉。

観光客向けの地図でコースを確認すると、車両の進入が禁止されているものの、国道をショートカットできる道があると分かった。歩道がなく交通量の多い道に閉塞感を感じていた私には、朗報でしかなかった。

分岐を左に進み、国道を外れる。道は一気に狭くなり、上り坂になった。国道は勾配の緩和のために迂回しているようだ。トラックのエンジンが唸りを上げる音が聞こえてくる。鉄道や自動車ならともかく、徒歩なら急勾配など全くもって問題でない。

しばらく歩くと国道に戻ってくる。そして、そこには歩道があった。(すぐなくなってしまったが)

合流した時点で既に道は上り坂になっていた。峠越えのようだ。緩和されているとはいっても、なかなかの急勾配である。落ち葉を踏んで足を滑らせないように。

 

また聞き慣れたエンジン音。顔を上げると、今度はカラーリングも見慣れたものだった。

京都市バスの車両がやってきた。

私は慌ててスマートフォンを取り出し、ギリギリのところで、後ろ姿をカメラに収めた。

非日常から日常を目指して歩く私にとって、市街地の日常で見られるものがふと現れることは、精神面でも非常に助けになるものであった。

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見慣れたバス。

バスが通り過ぎたところで、私は再び分岐点に立った。いや、ほとんどの人には分岐点でないのかもしれないが、国道を外れ、脇道を行くショートカットを学んでしまった私には、左に分かれ、急な下り坂となっている道は大きな分岐点に見えた。

私は、速く山を下りたい、市街地に辿り着きたいという思いから、下り坂を進む衝動に駆られ、分岐側へと足を踏み入れた。

下り坂は、その衝動を止めさせない。足は止まるどころか、スピードを上げている。まあ、疲れで足があがらなくなっている現状では危険以外の何物でもないと感じ、すぐにスピードを緩めたが。

先には国道が見えた。ここも勾配緩和のために迂回しているようだった。私の判断は正しかったようだ。

斜面に張り付くような住宅を横目に見ながら、細い路地を歩く。横から車の音が近づいてくる。私は再び国道に戻ってきた。

高雄を過ぎると、梅ケ畑というところだった。しばらく歩くと両側に歩道が出現する。道を歩いていると、道のほうから市街地の接近を様々な形で知らせてくれる。高雄には行ったことがなく、具体的な光景の記憶に欠ける私にとっては非常に有難いものだった。

沿道にローソンがあった。歩道と敷地を仕切る縁石が座るのにちょうどよい高さで、私は吸い込まれるようにそこに腰を下ろしてしまった。

しかし栂ノ尾での記憶から、私は3分ほど休んだだけで立ち上がり、足を大きく動かしたのちに歩き出した。市街地は着実に近づいているが、市街地に入ることがゴールではないからだ。

小雨が降り出していたが、そんなことに構っている余裕はなかった。雨宿りもしたくない気分だった。

私はおそらく最後の下り坂を歩いていった。そして、福王子交差点が見えた。

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福王子交差点にて。

福王子から先の区間は、バスは大人230円の均一運賃になる。ここからは「市街地」と呼んで差し支えないだろう。

山を上り下りしている時にはすれ違う人は皆無。梅ケ畑の住宅街に出てからも計数人程度だったから、私はいくら昨今の情勢を踏まえても、周囲に人がいないのに感染したりさせたりする訳がないということで、マスクを外していた。(というか、マスクをして長距離を歩き続けるほうが危険であるのは間違いない)

しかし市街地に差し掛かったところですれ違う歩行者の数も増え、私は車に乗っていた時以来マスクを着用した。普段の私は昨今の情勢上仕方がないとはいえ、この環境にうんざりし、”息苦しさ”を感じていたが、この時はマスクを着用するということが、まさに市街地に戻ってきた、ゴールが近づいているぞということを感じさせるような気分だった。もちろん呼吸のしやすさの面を考えると、そんな高揚している場合ではないのだが。

そして、朝8時半を過ぎたところで、私は5時間以上ひたすら辿ってきた国道162号を離れることになった。もはやここまで来ると、一種の愛着が湧いてきた。

福王子交差点を左折すると、仁和寺の前にやってきた。時刻は8時45分。9時からはここで、また別の熊野寮祭の企画が開催されるらしい。しかし私にはその気力など到底ない。階段数段さえ上るのを躊躇い、中を見ることさえしなかった。

私は仁和寺の先を斜めに横断し、バス停の椅子で一旦座って休んだのちに、嵐電北野線妙心寺駅を通った。

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嵐電北野線妙心寺駅付近にて。

私はTwitter鉄道路線を利用して現在地や方角を把握する他の参加者を見ていたから、鉄道とはあまりにも無縁な私の帰寮において、初の鉄道路線が現れたことに喜びを感じていた。同時に、嵐山に観光に行った際に見た京紫色の車体の登場は、市街地に入ってもまだゴールが先であることを感じさせるものでもあった。そして、私はここで嵐電と交差したことで、大きな勘違いを犯すことになる。

嵐電北野線は、仁和寺の付近より東では、ほぼ東西に走る路線だ。だから、この路線と交差した私は、仁和寺の辺りで右に曲がったことも相俟って、自分が今、南に向かっていると勘違いしてしまった。

それが間違いであることは空を見上げて太陽の方角を確認すれば明らかなことなのだが、この時の私は体力を十分消耗しており、そんなことにさえ意識が向かないようになっていた。

そして、「熊野寮まであと直進するだけ」という事実に手を伸ばしたくなった私は、ちょうど差し掛かった馬代一条交差点の信号が赤になったのを見て、左折した。

 

そこから2分もしないところで、再び嵐電の踏切に差し掛かる。私は東に向かったところで踏切を渡ることにさすがに不審だと感づいて、空を見上げて方角を確認し、己の不注意を反省した。すぐに気が付けたからロスも少なく済んだが…。

結局、北野白梅町から西大路通を南下。円町から丸太町通に入ることになった。

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円町交差点にて。あとは東へひたすら進むだけ。

あとは東へ進むだけ。まだ距離はあるが、ラストスパートに差し掛かったような気がしてしまった。

円町交差点を東方向に進むと、すぐに小さな上り坂が出現する。これまで山を上り下りしてきた私には、ほんの少しの苦労のはずだった。しかし、道を間違えたことの心労も重なった私の心身は、この上り坂で持つ力を使い切ってしまった。しかも、周囲には目新しい光景はない。自転車で何度も通った道だ。

極めつけは市バス93号系統・錦林車庫行きが横を走り去っていくのを見たことだろう。このバスに乗れば、ゴールまで数分なのだ。足はもう疲れ切っていた。

バス停の椅子にこまめに座りながら、少しずつ歩みを進めていく。堀川丸太町では椅子が隣接するスーパーの敷地内にあるため、屋根の下で、広い場所を使って休憩できた。

烏丸通河原町通と、途中何度も座れる場所を見つけては座っていた。

そして、見慣れた光景だ。鴨川。

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丸太町橋からの鴨川。

もう、あと少しだ。もう日は高く昇っている。

私は足の疲労に懸命に耐えつつ、最後の「あと少し」を歩き切った。

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約半日ぶりに無事帰寮!

帰寮!

何とか無事に帰ってきた。主催者の方に帰寮を報告し、軽く会話した後は、帰宅。

神宮丸太町駅から出町柳駅までは、迷わず京阪電車のお世話になった。1駅、乗車時間1~2分で220円などという高額運賃は、今日は決して高いとは感じなかった。

 

持参した食料や水分はあまり消費しておらず、足りなくなることはなかった(むしろ大半を余らせてしまった)ので、結局、費用は往復の京阪電車440円だけという結果だった。いや、やっぱり1駅往復で440円は高いわ。

 

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今回の行程。赤ピンがスタート地点、青の点からが後編。赤の点は掲載した写真の撮影地。

歩行距離は約38.2km、車を降りてからの所要時間は10時間11分という結果でした。

 

最後になりますが、主催してくださった方、ドライバーの方、応援の言葉をくださった方、そしてこの記事を最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。来年はもっと体力をつけて長距離にチャレンジします。