【前編】エクストリーム帰寮2020(2020.11.28)

2020年11月28日、私は熊野寮祭の企画「エクストリーム帰寮」に参加した。

 

ルールはかんたん. 車でどこかに拉致されて歩いて帰ってくるだけ. 財布なしスマホなし. 

京都大学生存同好会Twitter(@Saison_de_Kyoto)より引用)

 

まあ、そういう企画である。それ以上のルール説明は必要ないだろう。

補足しておくと、スマホなしというのは「地図を見ない」という意味であり、実際には安否確認用、そしてTwitter実況用としてほぼ全ての参加者が持参している。

 

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予告本編はなかなか始まりません。

2020年11月28日22時。エクストリーム帰寮の集合時間まであと1時間。

冬の到来を明確に感じながら、私はダイコクドラッグ百万遍店にいた。反射材を探し求めていたのだ。一応懐中電灯は持っていたが、電池が切れたら命に関わるという考えだった。

しかし、私は目的の品を購入することができなかった。仕方なく家に帰る。そして家に着き、準備を始める。大丈夫かな、何か代替になるものはないかなと思いながら、懐中電灯に手を伸ばす。すると、懐中電灯の横に、替えの電池があることに気が付いた。これで良いではないか。これから長距離の徒歩が待っているというのに、無駄に体力を消耗してしまった。

 

私の装備は以下の通り。

なぜ体温計があるのかというと、私はとある課外活動団体に所属しているのだが、対面での活動に参加するためには毎日検温し、そのデータを送信する必要があるからだ。万が一帰寮(私は寮外生なので、正確には帰宅)が遅くなっても会長に迷惑をかけないで済むように、という考えである。

そして、時計を見る。時刻は22時35分。23時の集合に間に合わない可能性、というよりは自転車を飛ばすことで体力を消費してしまう可能性を考慮して、私はICOCAカードを持った。出町柳駅から神宮丸太町駅まで、京阪電車を利用したのだ。

実際このおかげで、全く急がずとも余裕で間に合った。

 

熊野寮の建物に入るのは初めてだった。学生が集まり関わりあうことで楽しんでいるという、良い雰囲気が感じられた。京都大学の寮というとあまり良い話は聞かないが、たまに訪れる分にはとても良いところだと思った。学生に最低限の良識が備わっているからこそだろうか。

 

そんなことを考えていると、受付が始まった。20km、35km、できるだけ遠く…様々な距離が並ぶ。そんな中で、私の希望距離は30km。ぼっち参戦だ。友達がいないのではないと信じたい。

並んでいると、声をかけられた。私と同じ単独での参加者だった。何回生?という質問に対して1回生だと答えると、いつもの流れが始まる。もう何度目か。学校で授業受けたことないんよな?友達できんやろ?サークルとか…

はい。おっしゃる通りです。

しかし、オンライン授業下で活発に交流を深めている人々、ひいては(三次元の)彼氏彼女を作っている人々も多数いるのだ。インスタグラムで少し検索してみれば、そういった類の投稿が多く見受けられる。なんと恐ろしいことか。彼らのコミュ力のほんの少しだけでも分けてもらいたいものである。

本題からそれてしまった。予告を理解した上でこれを読んでいる読者もそろそろ飽きてきた頃だろうから、ここから出発までは省略することにしよう。

 

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私はかなり早い段階で出発することができた。1人というのが車の空いた席を埋めるのにちょうど良かったようだ。ドライバーは有名(?)な方だったそうだが、あいにく車内でその事実を知ることはなかった。

車は丸太町通を西へ。これ以上の情報はない。帰り道が分からないからこそ楽しい、というのが私の考えであったからだ。

気づけば体が座席に押し付けられる感覚を得た。山道を走っていた。

山道を快走する車の前面展望が楽しめるのは、なかなかないことである。私はさっきまでの考えをほぼ忘れて、道路の案内標識が見えた時以外はその景色を楽しんでいた。

0時50分。私は車を降りた。車が走り去ると、辺りの光は私の懐中電灯と、月明かりだけになった。真っ先に、月ってけっこう明るいんだ、と感じた。都市で暮らしていると、月明かりが照らすものは皆無だからだ。

そして、特に考えることもなく、車が走り去った方向と反対に向かって歩き出す。これは人間の性であろう。すぐに道路脇に凍結防止剤が置かれているのを見つけた。そこには「京都市」の文字。ここは京都市のようだ。京都市は南北に広く、市街地の北には広大な山が広がっている。おそらくその山中に降ろされたのだろう。

ひとまずは一本道なのだが、懐中電灯で道を照らすと、周囲の山から「ガサガサッ」という音がする。野生動物だ。京都市やその周辺なら、鹿だろう。

鹿は人間を襲うことはほぼない。頭ではそう分かっているのだが、夜道に一人、明かりも少ない中ではなんとなく恐怖を感じる。私は道の真ん中を歩いて行く。

30分くらいは下り坂が続いた。分かれ道に出たが、片方は寺院への入口といった感じで、また上り坂でもあった。ここまで下ってきたことを考えるとそちらに行くのが賢明でないことは容易に判断できた。分かれ道には狸がいた。

そこから5分もしないところで、国道477号に出た。そこに「京都一周トレイル」の案内を発見。そこには、「京北」の文字。ここは京都市右京区、旧京北町エリアのようだ。国道に出たところでも同様に進むべき方向は想像がついたが、ここで私は道端にバス停の看板が立っているのを見つけ、情報収集に向かった。山国御陵前バス停。京北ふるさとバス。行き先や途中の停留所を見ても知っている地名がなく、帰り道の様相は想像できなかった。

歩き出そうとしたとき、ピーッといった高い音が響き、鹿が私がさっきまで歩いていた道路を駆けていった。鳴き声だ。鹿の鳴き声を生で聞いたのは、初めてかもしれない。

少し驚きながらもひとまず進むべき道らしき方を歩いて行く。見えたのは青看板らしきもの。初めての道路情報だ。

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青看板が命綱である。これは進行方向と反対向きについていた。

反対方向に分岐すると、大原や鞍馬といった、京都の市街地の真北に位置する観光地に着くようだ。ここは京北町であるから、すなわち私は今南に歩いている。これで正解だ。目的地に近づいていると分かって道を進むのは、そうでない時よりも精神的に非常に楽なものだ。

そこから1時間。国道に出て両側が田んぼや畑になってからも、周囲には鹿が多かった。さすがに慣れてきたため、気配を消して近づき、パッと懐中電灯を付けることで慌てて鹿が逃げ出すのを見て楽しむような余裕も生まれた。

時刻は2時20分を回ったところ。進行方向の青看板を初めて発見した。

「五条天神川」の文字。

早くもゴールが見えたことに心が躍る。もちろん、距離は相当なものなのだろうが…。

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初めて発見した進行方向の青看板。

車通りもほぼゼロ。この看板を発見した時点で開始から1時間半が経過しているが、見かけた車は計5台程度だ。聞こえる音は、川のせせらぎと、鹿よけの電線がバチバチと音を立てるくらい。時々鹿の鳴き声が響き渡る。

田舎の深夜というもの自体、私には初めての体験だった。出身は田舎ではあるけれど、家の周りは平地で、蛙の大合唱が喧しい夏の夜はあれど、鹿や猪が屯する秋の夜はなかった。そもそも高校生までの生活では、深夜に外出すること自体ほとんど許されない。

私は野生動物が暮らす姿に自然を感じた。もっとも、道路が整備され畑には電線が張られたこの状況は、動物にとっての本来の「自然」とは遠く離れているのだろうが。

しばらくすると道が木に囲まれるようになる。電波の状態も悪くなり、Twitterで他の参加者の帰路の様子を見て楽しむといったことが難しくなってくる。私はただ、懐中電灯の照らすわずかな地面を注視しながら歩いて行くことしかできなかった。

上り坂に差し掛かる。道幅が狭くなるを示した看板が設置されていた。まだ序盤、体力は十分。20分ほどの緩やかな上り坂を過ぎると、文明の灯りが見えた。交差点のようだ。

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京北町の中心部、周山地区にて。

ここで左折する。京北合同庁舎前というバス停があった。そして、ここまでの京北ふるさとバスの看板と同時に、西日本JRバスの看板も立っていた。私はバス停のベンチに腰掛けた。水分補給だ。

JRバスの方のバス停看板には、丁寧に路線図がついていた。

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路線図。市街地までは相当な距離がありそうだ。

この道を進めば確実に市街地に繋がる。そう分かったが、目的地の熊野寮まではバス停をいくつ通ることか。市街地に入れば、市バスのバス停も多く存在することになる。

そんなことを考えながら歩みを進めていると、距離を示した看板を発見した。五条天神川まで28km。時刻は既に3時を回っており、日常生活での歩行量を超えた頃だ。しかし、看板は無情にも28kmの文字を突き付けてくる。単純計算でもあと7時間。

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五条天神川まで28km。

しかし、そんなことに気分を沈ませていても仕方がない。私は歩き出した。

そこから25分ほど歩いたところ。短いトンネルをひとつ抜けたところで、白い光が目に入る。京北トンネルだ。銘板によると、2012年に完成した比較的新しいトンネルだそうだ。トンネル照明にはオレンジ色のナトリウムランプではなく、白色のLEDが使われている。

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京北トンネルの入口。

長さは2312m。トンネル内の照明に必要な電力は湧水を利用した水力発電で賄っているらしい。
このトンネルのおかげで、京北町周山地区と京都市街地の行き来は格段に便利になったことだろう。歩いて通る私としても、暗い峠道よりは何倍もいい。

そんな気持ちで入ったトンネルも、中はずっと上り坂。しかも曲線主体で、出口が全く見えない。車が通ると耳をつんざくような轟音が響く。何より、トンネル内には電波が届かない。2kmを超えるトンネルは徒歩で通るには30分以上かかるもので、肉体的にも精神的にもかなりの負担だった。

私はちょうど中間あたりで、歩道に座ってカロリーメイトを1本食べた。正直、それほどの感情はなかった。食べ終わって水分補給をすると、すぐに歩き出した。早く抜け出したかった。

中は空気が籠っていて寒さを感じなかったのが唯一の良い点であった。

1台の車に抜かれた。轟音は、私の横を通り過ぎたあと10秒ほどで消えていった。非常口の表示がそこらにあり、着実に出口が近づいていることは認識できていた。しかし、数字で示されるより、視覚以外の感覚に訴えてくる方が実感が湧く気がした。

トンネルを出た瞬間、一気に冷たい風が襲ってきた。私はあまり独り言を言う質ではないのだが、この時はふと、声が出てしまった。

トンネルの出口からは緩やかな下り坂になっている。京北トンネルが開通してからは、この峠の最高地点はおそらくここだろう。

京北トンネルを抜けたところにはバス停があった。ひとつ前のバス停は40分くらい前に通った記憶がある。写真を確認するとその通りだった。路線図では同じ長さで書かれているが、トンネルを挟む区間はバス停1つ分が非常に長いのだ。そんなことを考えていると、ナトリウムランプの灯りが見えた。またトンネル。また長い区間

次のトンネルは笠トンネル。京北トンネルと違って古めかしい雰囲気である。1200mほどのトンネルだが、ずっと直線で、それまでの緩やかな下り坂が続く。歩道は狭く圧迫感があったため、車道の端を歩くことにした。後ろから車が来ればすぐに分かるため、安全上の問題もない。

トンネル内には補強工事の跡のようなものが多く見られた。湧水がトンネル内に漏れてきているところもあった。地上では川と並行して走る区間が大半を占める道路であり、水源や地下水脈も多いのだろう。

出口が最初から見えている笠トンネルは、京北トンネルに比べれば非常に気が楽だった。実際に長さは半分ほどである。

トンネルを抜ける。今度は目の前に集落が広がった。小野郷というところらしい。

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小野郷にて。

時刻は午前5時になろうとしていた。京北合同庁舎前以来の距離標識。数字が減っているのが最大の実感だ。暗い夜道には終わりが見えず、体力以上に精神が削がれていく。そういった中で、まだまだ遠いながらも終わりを見せてくれる標識は非常に有難いものだ。

小野郷の集落を過ぎると、再び周囲は山深くなってくる。片側一車線は維持されているものの、懐中電灯を切ってしまうと明かりは皆無。カーブが続く。見通しが悪く、「事故多発」の看板も設置されている。朝が近づいていることもあり、車通りも増えてきた。もっとも、それでも1分に1台程度だが。

こんな道はふつう、徒歩で通るものではない。私としては肩身が狭かった。車が近づいたら手に合わせて懐中電灯を振って、存在を知らせた。

30分ほど行ったところで、交差点に出た。ちょうど来たトラックが左に曲がっていく。ここまではほとんど、分岐する道は狭く、車がほとんど通らないような道ばかりであった。私は驚いた。そして、国道162号を直進した先にはトンネルが見えた。

行きにこのトンネルは通った覚えはない。外を見なくてもトンネルを通ったことは音だけで感知できるから、それは分かっていた。しかし、行きにはセンターラインもないワインディングロードを通っているはずだ。ここを左に行ったら、その道に繋がっているのだろうか?

私は少し迷った。ここを左に行けば行きと同じ道で、最短で帰れるかもしれない。しかし、私は行きと違う道であることを覚悟したうえで国道162号を進むことに決めた。トンネルは上り坂を回避できるかもしれない、という望みもあった。

何よりまだ空は暗い。時刻は5時49分。冬至まで1ヶ月を切った11月最後の夜。狭隘なワインディングロードは危険という判断だ。行きに『頭文字D』で見たような車が峠の中腹に停まっていたのも判断根拠になった。

 

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前編の行程。赤ピンがスタート地点、青の点まで到達。赤の点は掲載した写真の撮影地。

スタートから 4時間59分

後編→ https://skrgwblog.hatenablog.com/entry/2020/12/05/101432